#760. 東北関東大震災当日の記録

2011-03-11

  • 14:46 東北関東大震災発生。

     川崎の勤務先のビル 6F に居て、作業中。

  • 14:54 地震は終わったポイが、ビルはまだゆれてる。

  • 15:21 余震が続く。ビル6Fから退避。

  • 15:57 余震が収まったので、とりあえずオフィスに戻る。階段で6階まで戻って、息切れが。

     同僚たち、ぱらぱら帰宅開始。

     iPhone 繋がらず、弟と横浜の友人にメール送信。おのおの返信があり、一安心。

     iPhone で、JR 運行状況をチェックしたり、 Twitter の TL をワッチ。

  • 17:27 JR の復旧待って、帰宅の予定のつもりだったが、復旧の目処が立たず。

     この時点で、かなり地震の被害を甘く見ていた。

     JR 復旧待ちをあきらめ、川崎から横浜まで徒歩で帰宅する決心をする。

  • 18:30 もう少し様子をみると言う同僚数人と別れ、一人で川崎のオフィスを出発。ぼちぼち、日暮れ。

  • 18:40 最短距離の鶴見方面の住宅地を抜けてゆくと、地区全体が停電。信号機・街灯が点灯されず、暗くて危険な雰囲気。夜に入って、停電地区を抜けるのは危険と判断。 iPhone のマップをチェックし、国道1号線に移動する。国道1号線は信号機・街灯が点灯していて、安心する。

     国道1号線沿いを川崎方面に移動。徒歩で帰宅する人が多く混雑。移動速度は遅くなる。

     コンビニでトイレを借り、スニッカーズ(チョコレート)と水を購入。これは本当にありがたかった。 途中、トイレ使えます。給水できます。と張り紙を出している飲食店もあり、心に染みた。スニッカーズを囓りながら歩く。

     神奈川二丁目交差点(東神奈川・仲木戸)で国道一号線を外れ、海沿いを歩く。海面があがっていて、津波の不安がよぎる。津波の不安はあったが、状況がわからない段階で、横浜の古いビルの多いコースは危険と判断。山内町の横浜中央卸売市場を抜け、みなとみらい橋を渡って、みなとみらい地区に。閑散としていた。

     みなとみらい橋あたりで冷たい海風が吹きつのる。しかも、人が少なく暗闇。コース選択を誤ったと思った。

     100名以上の一団がパシフィコ横浜方面に移動しているの遭遇。年齢性別とも雑多な一団で、いったい何なのか不思議。後でニュースで、おそらく帰宅困難者を、横浜駅方面から一時宿泊先のパシフィコ横浜に誘導していたのではと気づく。

     赤レンガ倉庫前、山下公園の前を通る。人がいない赤レンガ倉庫、大さん橋にはパトカーが停車して赤色灯を回しているだけだった。山下公園は、例の黄色い Keep out のテープが張られていた。

  • 21:10 帰宅。自宅アパートは停電中 ( ̄◇ ̄;) 何もできないので、とりあえず、寝る。

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